100年後の島の日常を支える産業をつくる/株式会社瀬戸内ジャムズガーデン代表取締役松嶋匡史さん

島内の果実を活用して経済循環を

山口県の南東部、瀬戸内海に浮かぶ周防大島。山口県のみかんの生産量の約8割を担い、「みかんの島」と呼ばれています。ここで2003年からみかんを始めさまざまな島の果物を使ってジャムを作っているのは、株式会社瀬戸内ジャムズガーデンの代表である松嶋匡史さん。電力会社で働いていた松嶋さんは、2001年に新婚旅行で訪れたパリでジャム屋と出会います。そこから2年後、妻の実家の寺がある周防大島で、まずは夏季限定のジャムの販売とカフェを始め、2007年に仕事を辞め、周防大島へ移住し、通年営業が始まりました。

松嶋さんはコンフィチュールを年間180種類生産しており、それらに使う原材料はなるべく島の農家から仕入れ、島で生産されていなかったブラッドオレンジなどは耕作放棄地を利用した1haの自主農園で栽培しています。契約している農家数は約60軒。一般流通の加工用柑橘類の約10倍の値段で仕入れるというフェアトレードを行っています。それは、柑橘産業の厳しさから来る後継者問題や、一時期日本で一番高齢化率の高い島と言われた周防大島自体の存続についての危機感があり、少しでも経済的循環をつくりたいという思いから。

移住者と島の人をつなぐ活動を開始

この危機感をもとに、松嶋さんは島に移住者を呼び込み島の未来を一緒につくっていける人たちと島を盛り上げようと、島の若手事業主8人で集まって「島くらす」という会を2011年に設立。と、同時に行政の方には定住促進協議会を立ち上げてもらいました。活動内容の1つは、町の窓口に来た移住希望者と島の人をつなぐこと。例えば、定年退職後に農業をしたい方には、移住2−3年目の農家との食事などをセッティングし、移住後の将来像が見えるような関係性をつくっていました。ほかにも、定期的な海岸清掃を通して移住者と地域の人と関わりを持つ場としたり、定住協議会が行う移住者用のツアーの企画を行ったりと活動してきました。この取り組みを始めて、約80名の移住者が誕生。また、これらの活動で島が活性化してきたため、夏休みなどを使って島に遊びに来ていた農家の孫世代が島にいいイメージを持ち、帰って農業をしたいという相談が来るようになり、孫世代のUターンに成功していると言います。

クラウドファンディングを通して関係人口づくり

現在、松嶋さんの活動は次のフェーズに入っており、島にお客さんに来てもらうための施策を展開しています。その1つが島で育てたレモンのお酒「レモンチェッロ」の製造販売です。これはコロナ禍で始め、クラウドファンディングを通して600万円弱の支援が集まりました。リターンとして、島で育てるレモン畑の「特命農業部員証」が発行され、いつでもレモン畑の映像を見ることができ、さらに年に数回農作業を手伝える権利が付与されます。松嶋さんは「生産現場に関われるというところが農業の面白いところだと思う。年に数回島に足を運んでいただけば、経済的にも島に関わっていただくことになるし、参加する人たちも楽しめる。そして作る側と買う側という、相対する関係ではなく、一緒に考え、作り、消費するという関係性をつくることが一番重要だと思い、商品づくりを通して関係人口をつくっていくようなプロジェクトにしました」と話します。

島の資産を使って未来に続く産業をつくる

さらに、今年の4月からは宿泊事業を開始する予定があります。古民家を改築し、島に住んでいる感覚で滞在するというコンセプトで、長期滞在できるような宿になる予定です。夕飯は敢えて提供せず、事前の予約で、島の漁師が作った刺し盛りをいただき旬の魚の話しを聞けるなど、地域にお金が落ちて、地域の人と繋がれる仕組みを考えています。

これらのさまざまな活動を松嶋さんは「里山オープンイノベーション」と呼んでいます。松嶋さんは「自分が島に来た時には友達が一人もいなかったこともあり、一人で何かができるとは思っていない。色々な方とつながり、お互いを活用しながらこれまでにない価値をつくっていきたい」と話します。そのためにも、まずはレモンチェッロと宿泊業をしっかり軌道に載せていきたいと考えています。そこには、これまで経済的に回らないから島は人を外に出して来たという苦い経験があり、経済的に回してここで持続的に生活できるように産業を作っていくという思いがあります。

さらにその産業も一過性じゃなく地域に根ざした、歴史と文化や農業的な積み上げなど地域の資産を生かしたものということで、柑橘の島である周防大島らしいレモンチェッロを選びました。最後に松嶋さんは、「100年後にもこの島に人が住んで、日常があって欲しいという思いがあります。100年後にレモンチェッロを飲みながら、『オリンピックがコロナで延期になった年に作られたレモン畑とお酒で、この島の産業が成り立っているよね』と言ってもらえたら。それだけでやっている価値がある」と島の未来への想いを話してくれました。