加工販売から観光・宿泊へ農村全体で稼げる町に/株式会社ドリームファーマーズJAPAN代表取締役宮田宗武さん安部元昭さん

地域の農家が集まり、ドライフルーツ作りを開始

大分県宇佐市安心院町は西日本有数のぶどうの生産地です。ここでぶどう農園を2代目として営むのが宮田宗武さん。宮田さんは、規格外であることから売れないぶどうをどうにかしたいと、干しぶどうの研究を始め、その思いに共感した近隣の若手農家安部元昭さんらと共に5名でドライフルーツの製造・販売を2012年に始めました。同年に「農家のチカラで農村イノベーション」という理念を掲げ、株式会社ドリームファーマーズJAPANを設立しました。

宮田さんは「よく捨てるものを活用するために加工すると言いますが、まず大前提としておいしいぶどうを使わないと意味がないと途中で気づきました」と話します。糖度は高いが房の形などで規格外となるぶどうを使ったドライフルーツは、少しずつ評価がされるようになりました。4,5年前からはメンバーが希望していたカフェを販売所の隣で始めました。当初はぶどうや加工品の有料試食の位置付けだったカフェですが、昨年から広い場所にうつし、観光農園として始めたぶどう狩りとあわせてお客さんを呼び込む位置付けに変えました。

加工販売から体験へ! ファン作りでYouTubeを始める

「ドライフルーツの売上はある程度で頭打ちになるだろうと予測を立てていました。それ以外で売上を伸ばしてゆくために、お客さんに安心院に来てもらい、体験するということに価値を置くようになりました」と話すのは、安部さん。来てもらうためには、自分たちのファンになってもらう必要がある。安部さんは以前から支援を受けていた大分県の田中プランナーに背中を押されて、YouTubeでの動画配信を始めました。

Instagramでは商品の良さを伝え、YouTubeでは自分たちの本質を見せてファンになってもらうという棲み分けをして発信を行いました。動画をアップすると、コメントや質問などのアクションがあり、それに返信して交流することでファンになっていきます。そしてチャンネル登録者数2万人を超えるほどに成長しました。動画のファンは日本全国にいるので、実際に安心院に来てくれるだけでなく、他の地域での販売会に来てくれるなどの効果が生まれました。

新しい農村宿泊のカタチをつくる

実は安心院は農泊でも有名な地で、毎年多くの学生達が宿泊行事として訪れていました。ただ年々、その数も減り、コロナ禍でかなり縮小し、副業としていた農家の中には、廃業に追い込まれてしまったところも。この農泊を始めたのが宮田さんの父ということもあり、これらをもう1度立て直さないといけないと立ち上がったのも宮田さんでした。その先駆けとして、古民家を改修して一棟貸しの宿泊体験施設をつくりました。今までの学生をターゲットとしていた農泊とは客層も異なり、サービス内容も異なるため、現在はビジネスコンテストに出場するなど、農家以外のネットワークを構築している最中だと言います。

宮田さんは「農村だからと農家だけ頑張るのでは限界がある。やはり町のみんなで考えていかないといけない。もともと理念に農村イノベーションと掲げているが、この1年で宿泊業をはじめてさらに痛感した。今後は観光・宿泊などでもっと地元の雇用につなげていきたい」と話します。また地域の耕作放棄地の再生を行なっている宮田さん達はそれにあわせて空き家の再生も不可欠だという思いもあり、今後も空き家改修を手がけていく予定です。

町の未来のために仲間を増やして規模拡大へ

今年は横のつながりという面で新しい動きも生まれました。安部さんが都市部に積極的に営業をかけていることやYouTubeチャンネルでの発信から、販売店のバイヤーさんに安部さんそしてドリームファーマーズJAPANのファンが生まれ、ドリームファーマーズJAPANというブランドで商品を出して欲しいという依頼がありました。安部さんが作るもの、そして安部さんが選ぶものへの信頼が生まれた結果です。今年は近隣の農家にも声をかけ、一体となって商品を販売しました。安部さんは「安心院、そして大分のおいしいものを市場にPRできるようになれば。もっと一緒にやっていくメンバーを増やしていきたい」と意気込みます。

ドリームファーマーズJAPANとして加工品販売から始まって、観光農園、地域の農家と協力した販売と広がり、売上は10年で10倍になりました。会社の体制も変わり、当初の5人メンバーのうち現在経営に関わっているのは宮田さんと安部さんの2人になりました。それでも町の農家やそれ以外の人たちを巻き込みながらより大きな会社を目指しています。2人は最後に「この町には色々なことをやっていける土壌があるし、やっていかないといけない。自分たちの未来そして町の未来のためにも、会社をこの町の中核企業に育てていきます」と力強く話してくれました。