循環型の産業で自然と暮らしを守り自立した地域づくりを目指す/株式会社地域法人無茶々園 代表取締役 大津清次さん

愛媛県西予市明浜町狩江地区にある「無茶々園」では、みかんの有機栽培を主軸に、販売や加工、漁業との連携、福祉サービスの提供などさまざまな事業を展開しています。事業は幅広いものの、目的はただ一つ、自立できる持続可能な地域を作ることです。明浜町では1955年から大々的なみかん栽培が始まり、一時は生産過剰による価格低迷や農薬による環境汚染が問題となっていました。1974年、自然環境と食の安全を守るために農家の後継者3名が中心となって15aの研究園を「無茶々園」と名づけ、有機栽培に取り組み始めます。以降、この考えに賛同する生産者が徐々に増加。現在は、農事組合法人「無茶々園」として、明浜町の約3割を占める約113haの農地で66名の生産者が有機栽培を行っています。

環境を守り、持続可能な地域産業を実践

国内有機栽培の先駆け的存在だった無茶々園ですが、栽培管理へのIT導入も早く、2000年には生産管理システムによるトレーサビリティシステムを構築し、安全・安心な食の提供に努めてきました。また、光センサー選果機を導入し、糖度や酸度を計測して安定した品質の商品を提供。産地と消費者が直接取引を行う産直システムというビジネスモデルを確立しました。2022年時点で全国に1万人の会員を有し、農業産出額は10億円超にまで成長しています。

無茶々園の大きな特徴の一つが、真珠養殖やちりめん漁を担う地域の漁業者と連携していることです。山が直接海につながる明浜町において持続可能な産業を成立させるには、山と海の循環が欠かせません。代表の大津清次さんは、「戦後からの環境汚染で磯辺が失われつつあります。しかし、藻や小生物が生息できる環境がなければ、魚も取れなくなってしまいます。農薬を使わない、合成洗剤を流さない、といった取組のほか、消費者の方を巻き込んだ廃油からの石鹸作りやわかめの種付け、スジ青のりの養殖など、海を再生させる取組を行ってきました」と話します。山と海の漁業者が一体となり、真珠や水産物の加工・販売とともに環境保全活動を行うことで、地域循環型の一次産業を実現させてきました。

6次産業化から見出した新たな価値

明浜町のような狭く入り組んだ畑で売上を確保していくには、一年に一度、一枚の畑から採れる柑橘を余すところなく活用することも大切です。外観基準に満たないみかんはジュースに搾り、搾った後の皮はマーマレードに加工、それでも余ってしまう皮からはエッセンシャルオイルを抽出し、化粧水やハンドクリームなどの化粧品へと加工しています。精油事業は開発当初こそ売上が伸び悩みましたが、若手スタッフを中心に抽出の流れやパッケージデザインなどを再考。2012年に「yaetoco」というブランドを立ち上げたところ、地域発のデザイン商品として人気を博し、堅調に売上を上げるようになりました。しかし、この事業の最大の功績は、「デザインの良さは地域商品の売上に貢献する」と証明したことでした。ジュースやマーマレードも同様にパッケージデザインをリニューアルし、適正価格で販売したところ、ギフト用としての需要が伸びて売上は2倍に増加。「余ったものを売る」ことから、付加価値の高い商品の販売へと事業を転換させることができました。

ただ、人口減少という課題を乗り越えなければ、これらの事業も地域も存続できません。そこで、就農者の育成や体験研修にも取組始め、2002年には県内数カ所に農地を取得して地域外からの新規就農者を受け入れ始めました。無茶々園の取り組みに共感して移住する若者も増え、現在は正社員の約5割近くが県外からの移住者です。さらに、高齢化が進む中で住民の生活に寄り添う地域を作るべく、2013年には福祉事業にも参入。現在は4箇所で約70名の職員を雇用して、高齢者介護施設を運営しています。「狩浜地区の人口は1000人を切りました。その中で産業や高齢者を支えるためには、地域の主婦層や移住者など、多様な人々を呼び込んで働く場所を作る必要があると考えています」。

地域住民と力を合わせて自立した地域へ

その後も観光促進やベトナムからの輸入事業、ソーラーシェアリングなど、地域に必要と思われる取組を実施し、必要に応じて新たな法人も立ち上げてきました。その法人を「地域協同組合無茶々園」として統括し、地域住民と生産者が力を合わせて活動を支えています。「食糧やエネルギー、雇用を明浜町の中で作り上げたいですね。ここに住む人たちの人生を最初から最後まで支えられる、自立した地域づくりを目指します」と話す大津さん。人口減少が進む中で持続可能な農業と地域を作る全国のロールモデルとして、今後の取組に期待がかかります。